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2012 年 1 月 1 日、年齢 46 歳のリッカルド・グアダルーペがウブロの CEO に任命されました。この任命により彼はジャン・クロード・ビバーの適格な後継者となり、今後、ウブロの最高経営責任者としてその手腕をふるうことになります。彼はスイス時計製造の世界でその全キャリアを積み、26 年間以上、ジャン・クロード・ビバーと協同し、ブランパンの誕生、ウブロの目覚しい発展に寄与するという素晴らしい成果を上げてきました。結果、ブランパンとウブロは、時計業界の大手メーカーに匹敵するブランドに成長しています。

その祖先はスペイン系のリッカルド・グアダルーペは、1965 年 3 月 5 日、スイスのヌーシャテルで生まれました。高級時計製造の揺籃の地とされているその地域で彼は育ち、学業を修めました。成熟証書(大学入学資格)を取得し、すでに起業への情熱を抱いていた彼は、スイスのビジネス スクールに入り、その後、アメリカ、カリフォルニア州のカリフォルニア大学ロサンゼルス校 (UCLA) で大学の課程を履修します。1988 年、彼は 22 歳です(この年の 3 月で 23 歳になります)。アメリカで首尾よく経験を積み、大学の修了証書を手にした彼は、スイスに戻り、プロフェッショナルの世界に身を投じることにします。ヌーシャテルにいた幼い頃から年々、その情熱を育てていた彼が選択したのは時計業界です。

彼はブルガリのプロダクト マネージャーとして帰国します。会社はすでにその名を広く知られていましたが、ジュネーブの時計製造関連の部門はまだ小さい組織でした。そこで設計、デザイン、製造、調達、流通ネットワークの開発、マーケティング等、仕事のあらゆる分野を学べる、夢に見た機会がやってきます。トータル 7 年間で彼は製造についての知識と職人技術の伝統を学び、その間にデザインと設計における美的感性、必要とされる「イタリアン タッチ」の感覚を養いました。そのようにしてリッカルド・グアダルーペはグループに成長する時計関連の活動に参与し、ストラテジーに基づきジュネーブからヌーシャテルに移動します。

1994 年、彼はジャン・クロード・ビバーと出会い、その後、この出会いがもとでブランパンへの入社を促されることになります。ブランドは 2 年後、スウォッチ グループに買収されました。すべてを再興する必要があり、この方向での市場におけるポジショニングも見直す必要がありました。冒険は素晴らしいものになることが約束されており、リッカルド・グアダルーペに彼の起業への情熱を育む新しい機会を与えました。経験は実り豊かなものとしてその真価を発揮し、特にムーブメント関連の技術、その設計、開発、製造についての知識には目を見張るものがありました。職人技術の重要な局面。それはジャン・クロード・ビバーとの 17 年間の協力と友情の端緒でもありました。1997 年、ブランパンの国際的な販売およびマーケティング部門のディレクターに任命されたリッカルドは、売上高を 10 億以上増収させ、2001 年に 8 年間勤めたブランパンを辞めます。

さまざまな経験を知識として蓄え、今や働く上での基本方針と効率的な作業システムをしかるべく指導できるようになった彼は 2001 年に時計業界での独立系コンサルタントとなり、レオナール ウォッチの発展を提案することになります。新しい問題提起:フランチャイズシステムによる時計の製造とポジショニング。新しい世界の開拓:モードの世界。彼は非常に競争の激しい世界で様々なモデルの発表、商品化を実現しました。

それから 3 年後の 2004 年、ジャン・クロード・ビバーがウブロの指揮を執ることになりました。彼はこの挑戦に協力してくれるよう、リッカルド・グアダルーペを呼び寄せました。そのタスクは野心的なものです。まとめると、クォーツ時計が 90% のこのブランドを覚醒、発展させ、まるで逆の機械式時計が 90% のブランドにするということです。彼に躊躇はありません。1980 年に創設されたブランドは当時、売上高 2500 万スイスフラン、従業員数 30 人程度でした。その後はよく知られている通り、ジャン・クロード・ビバーと彼が協力し、彼らの持てるあらゆるノウハウと能力をウブロのために捧げました。

そしてわずか 1 年後の 2005 年 4 月、彼らはビッグ・バンと名付けられた革新的なクロノグラフを世に送り出すという偉業を成し遂げました。ビッグ・バンは、まさに融合の技術(The Art of Fusion)」というブランドのコンセプトを具現化しているモデルです。2005 年のバーゼルワールド(BaselWorld 2005)で披露されたそのモデルは同年、Grand Prix d’Horlogerie de Genève で “Best Design of the Year” に選ばれ、たちまちに成功を収めました。さらにこのモデルは数々の賞を受賞します。このことはウブロにとって重要な契機となり、ブランドの驚異的な成長を証明することになりました。ジャン・クロード・ビバーとリッカルド・グアダルーペは、歩んできた道のりにおいてブランドの再生、もしかしたらその誕生にまでも確かに責任を負ってきました。そのひとつは経済的な成長です。売上げはブランドが LVMH に買収された 2008 年までの 4 年間に2500 万から 200 億スイスフラン以上に増収しました。もうひとつには物理的な成長が挙げられます。2009 年 11 月、ベルナール・アルノーの協力を得て、ニオンのジュネーブ湖畔に新しいハイテク マニュファクチュールが落成しました。時計製造技術と、コラムホイール クロノグラフ ムーブメントの UNICO、トゥールビヨン、ミニッツリピーターといったグランド コンプリケーション、アンティシテール ムーブメント、キー・オブ・タイム ムーブメントなどの設計、開発、製造のために 6000 m2 の敷地が用意されています。新しいハイテク素材の研究と最先端のノウハウの蓄積を通じて自社を革新性のあるブランドにすることに余念のないウブロは 2011 年末、傷のつきにくいマジックゴールドという 18K ゴールドを製造する本格的な鋳造施設も設けました。同年、ウブロはカーボンファイバー製部品を専門に製造する Profusion というスイスのメーカーを買収しました。

マーケティングは「見込みのある顧客が見つかるところへ行く」というきわめて明快なストラテジーにしたがっており、ウブロはサッカーの世界に参入した初のラグジュアリーブランドとなりました。2008 年、ウブロはマンチェスターユナイテッドとヨーロピアンチャンピオンシップの「公式タイムキーパー」を務めました。また 2010 年、ブランドは F1 の「公式ウォッチ」に選ばれた直後に FIFA および次の 2 回のワールドカップの「公式ウォッチ」と「公式タイムキーパー」に初めて選ばれました。これら 2 つの見事な手腕により、ウブロは国際的なスケールの知名度を獲得することになります。ブランドはフェラーリの公式ウォッチおよび公式タイムキーパーでもあり、モナコの海洋博物館とアルベール 2 世(モナコ大公)が代表を務める Monaco Yacht Club のサポートも行っています。また、生きている伝説とも言うべきマラドーナなどの有力な競技者を通じて、ヨットだけではなく、ポロ、バスケット、ゴルフの世界にも参与しています。

ウブロはまた、オンラインのテレビ放映サービス(ウブロ TV)を開始した初のラグジュアリーブランドであり、新しい革新的かつインタラクティブなブランド紹介の方法を継続的に探索しています。商業的には、専門ブティックと正規販売店のネットワークが 2007 年から 2008 年にかけて飛躍的に充実し、今では販売拠点が 650 に増え、世界各国のプレステージの高いロケーションに 40 の専門ブティックを数えるまでになっています(ジュネーブ、パリのヴァンドーム広場、ニューヨークのマディソン通り、ビバリーヒルズ、マイアミ、ラスベガス、カンヌ、サントロペ、シンガポール、上海、北京、香港、ドバイなど)。

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